視点取得と言う考え方は近年注目されつつあります。

これまで、体験された皆様からいただいた学びのためのご質問とそれに対する回答のやりとりを紹介します。


Q:この考え方を子供に教えることはできるのでしょうか?

A : 何才くらいのお子さんでしょうか?比較的柔軟な幼いお子さんであれば、我々よりもある種の感覚は開かれていると考えられます。共感や理解といったことは成長の中で育まれてゆくものです。「ままごと」や「〜ごっこ」といったものはまさに社会性を獲得する「他人の靴を履いてみる」ための遊びです。お子さんの成長に合わせて様々な他者を想定して問いかける(あの子はどうして一人で泣いているのかなぁとか、ありさんは一人でどこに何しに行くのかなといった)ということで他者に対する興味の扉を開く導きはできると思います。あるいは演劇そのものを体験するということも一つの方法です。


Q : 他人に自分の靴を履いてもらうことはできますか?

A : 例えば仮に、「私の靴を履いてもらう」ために必要な材料、情報、そして手段を相手に知ってもらえたとします。

しかし、相手が自分に対する興味を持ち合わせていなければ、それは単なるインフォメーションにしか過ぎません。
そこで、先ずは「相手の靴を履く」ことからトライしてはいかがでしょう。自分を理解しよう、共感しようとしている人に対して嫌な気持ちになる人は少ないのではないでしょうか。そうして自分を尊重し、理解しようとするあなたに興味が生まれたら、それが第一歩かと思います。


Q : 外国人や障害者になるといったことも同じ手法でできますか。             共生という観点から。

A : ご質問の趣旨は外国人や障害者は自分たちと遠い存在であるから、彼らの靴を履くのは難しいのではないかと言うことでしょうか。

例えば「外国人」ですが、ほんの100年前までは日本もそれぞれの方言が際立ち、地方と地方ではまるで口話が通じないと言ったことがありました。私は栃木出身ですが、たった40年前でさえお年寄りの話は訛りが強くよく分かりませんでした。また、最近では海外旅行は日常のものとなり、多くの人が自ら旅先で「外国人」になりに行くわけです。我々にとって外国人のメンタリティはそれほど遠いものではありません。

では、障害者はどうでしょうか。障害は実にバリエーションに富んでいます。身体、精神、発達など大きく分けられていますが最近になって障害と定義付けられたものもあります。このように研究がそう認めたものを我々は「障害」と呼んでいるのであり、その本質は個々の差異の延長に過ぎないのではないでしょうか。

ですからお答えの結論としましては、外国人や障害者が特別遠い存在ではなく、等しく「他者」としてあるわけですから、この手法は問題なく使えます。まさに共生を考える強力なツールです。